天照大神 (あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られ、御嶽山からは鉄が産出したという伝承がある。
社名「金鑚(かなさな)」は、古くは「金佐奈」と記載され、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源とも、 また 産出する砂鉄が昆虫のサナギのような塊だったため「金サナギ」が語源とも考えられている。
児玉郡は 埼玉県の平成6年度(1994)の調査報告において 1,380基の古墳が確認されており、この地域を 「魏志倭人伝」にある2~3世紀頃の倭人のクニの1つ「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」に比定する説がある。
元禄年間(1688-1704)につくられた「金鑚大明神縁起」や明治35年(1902)の「金鑚神社鎮座之由来記」によると、 金鑚神社の創始は「景行天皇41年(111)に日本武尊が東国遠征の折に、倭姫命より授けられた草薙剣とともに携えてきた 火鑽金(火打金)を御霊代として山中に納めて、天照皇太神と素戔嗚尊の二柱の神を祀ったことによる」と伝えられている。
「日本三代実録」貞観4年(862)6月4日の条に、「武蔵国正六位上金佐奈神列於官社」とあり、 同年8月6日の条では従五位下の神階を授けられたことが記録されている。
延長5年(927)にまとめられた「延喜式」神名帳には「児玉郡一座 大 金佐奈神社 名神大」と記載され、 古くは「金佐奈神社」とも表記された名神大社である。 武蔵国の名神大社は武蔵一宮氷川神社と当社のみで、他は式内小社である。
金鑚神社は、古代から官社として神階を授かり、他の式内社より格が上位であり、 江戸時代には武蔵国二宮と呼ばれるのにふさわしい祭祀組織が築かれていたと思われる。
明治6年(1873)県社に昇格、明治18年(1885)官幣中社として官幣社に列せられた。 戦後は神社本庁包括下の別表神社。
本社の北東約500メートルの地、国道沿いに八坂神社と並んで鎮座する。 元々は金鑚神社の旧鎮座地であって当地から御室山(御室ヶ嶽)を遥拝したと伝えられている。 摂社元森神社秋尽祭では御室山を褒める「山ほめ神事」が行われている。
例祭(摂社元森神社秋尽祭):10月19日
金鑚神楽は神話を題材にした一曲一座形式の神楽で、宝暦年間(1751-1764)に 江戸神楽の流れをくむ大宮住吉神社(埼玉県坂戸市)の神楽が伝授されたものとされている。
児玉郡から大里郡にかけて13の組があり、一般的にその名称は関係する神職の名字や地名を用いている。
金鑚組 岡本組 杉田組 宮崎組 本庄組 森田組 渡辺組
根岸組 忍保組 太駄組 永田組 折原組 五明組
武蔵国式内社44座と共に、次の各社を祀る。
熱田神社 氷川神社 伊弉諾神社 五柱神社 火産霊雷神社 大山清水神社 宮比神社 住吉神社
稲荷神社 薬師神社 諏訪神社 松尾神社 白山神社 八幡神社 菅原神社 二柱神社 ほか